マザー・テレサ 愛の花束 中井俊巳 を読む
評価:
中井 俊已 PHP研究所 ¥ 540 (2007-12-03) コメント:新品でも514円、わずか200ページの本ですが1ページ1ページがとても重いです。 |
マザーテレサ関係の本は初めてでした。
以前、どこかでマザーテレサはキリスト教を支持しているというよりはイエス主義を貫いている人との紹介があり、宗教ではなくあくまでキリスト本人の教えを深く信仰していることがとても興味深いと思ったのを覚えていました。
わずか200ページもありませんが、1ページに盛り込まれている内容が重くページを開くのにえらい時間がかかりました。
マザーテレサは後数時間で確実に死ぬとわかっている人を、ベッドに寝かせ寄り添って看病をします。
助かる見込みはありません。
ではなぜ看病するのか。
それは、助けることよりも死に際にその人も祝福されて天に召されるということを感じてもらうためです。
誰にも知られることなく、道端で死ぬよりベッドで誰かに見取られて死ぬことが人間にとってどんなに幸せであるかマザーテレサは知っているからです。
肉体を助けることより魂を助けることを優先している姿がそこにあります。
意外と思われるマザーテレサの言葉があります。
「私は慈善事業をしているわけではありません」
一瞬、それ以外していないではないかと思われるかもしれません。
私もとても違和感が覚えました。
しかしその主張には続きがあります。
「ただ、イエスキリストに仕えているだけです」
本文にもありますが我々日本人には理解しがたい考えかもしれません。
逆に慈善事業をしていると考えた場合、どういう行動原理に基づくことになるでしょうか。
恵まれない人々に物資を与える、自分自身が良いことをしているという自覚
が生まれるかもしれません。
慈善事業をしているという認識の基に全ての行動をする可能性があります。
私なりに解釈すると、例えば
ボールが人に当たりそうになるのを見てとっさにキャッチする
この瞬間に、ボールが当たりそうになっていた人に喜ばれたいという感情が介入する余地はないと思います。
とっさの出来事ですから。
反射的に手が出る時の心理状態が、イエスキリストに仕えている心理状態と考えると
マザーテレサは「人として当然のことをずっとやっている」と理解できるのではないでしょうか。
共感を覚えた言葉にこのようなものがあります。
「大切なことはどれくらい多くのことをやったかではなく、
どのくらいの思いを込めたか、です」
最後にマザーテレサのが作った詩をご紹介します。
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人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行いをしてもおそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを世に与えなさい。
けり返されるかもしれません。
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
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- 2010.02.28 Sunday
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- by master